雲に架ける梯子 次ページへ⇒これ、何に見える?

猶更上雲梯

 この言葉との出会いは、京都大原の山中にある小さな神社でした。
「今日は、ここにお泊まり。」と言われて一人泊まった、なんとも不気味な深夜の社務所。 隙間風と夜鳥の鳴声に揺らぐロウソクの灯りの中で、勝手に引かせてもらった「おみくじ」 に書いてあった言葉です。
物語は智誠尼(いつも、文子おばさんと呼んでいましたが)との「一期一会」の出会いから始まります。
(若かりし頃)京都の旅の途中で、成り行きで山中の神社の軒下を一夜の宿に借りました。 人里からはかなり離れた山中の稜線にある小さな神社で、同じ境内に お不動様も居る造りです。
その時、たまたま神社に御勤めに来ていた智誠尼は、私に付き合って山に泊まるはめになり (智誠尼は社務所の畳、私はお不動様の軒下ですが)、二人で不動明王の前のロウソクに照らされ ながら、夜の10時頃まで、何と4時間も(板の間に正座したまま)お話をしたのでした。
それから10年後。還暦を過ぎた智誠尼との再会の約束を果たすために、 再び苔むした参道を登ったのですが、ようやく神社に着いたのが夕方。 懐かしい再会もつかの間、 智誠尼は「今日は、ここにお泊まり。」と山を下りてしまいました。
源平盛衰記で「業」と額に書かれた亡霊が出た由来の寺跡に出来た神社だと聞いておりましたので、 さすがの私も多少びびりましたが、この一会を楽しむ事にしました。
文明の利器が何一つない暗闇の中で一本のロウソクを灯し、正座して自分と対面し、時が流れます。 深更、「ここの御神籤は恐いくらい当たる」と智誠尼に言われたのを思い出して「おみくじ」を ふりました。そして番号引き出しから取り出した御神籤に書いてあったのがこの言葉です。
「雲に梯子を架けさし上るが如く、なお更に高きをめざす」
人生の難所をさまよっていた私を、大きく力づけてくれた言葉です。
次の日、夜明けとともに登ってきてくれた智誠尼と、積もる話に時を忘れて過ごした事は言うまでもありません。 (1999.2)


羽衣の出会い

 智誠尼から、ロウソクの明かりの中で聞いた<宝物のような>忘れられない話。
一辺が一由旬(いちゆじゅん)の巨大な石があります。 (由旬とは、古代インドの距離をはかる単位で、牛車で一日の工程。約14.4km。) 百年に一度だけ空から天女が降りてきて、この大きな大きな、一由旬(いちゆじゅん)もある石を「羽衣」で ひと撫ですると天に昇っていきます。 それから百年たって、また天女が空から降りてきて、羽衣で ひと撫ですると、また天に昇っていきます。 百年に一度、このひと撫でを繰り返して、一由旬の石がすり減って無くなるまでを「一劫(いちこう)」と言います。 それを一億劫繰り返した頃に、ようやく、一つの出会いが生まれると言います。心に残る出会いとは、 そういったものなのでしょう。
こんな気の遠くなるような巡り合わせで、人間として生まれてきたのだから、人生を大切に生きなければいけない。 人と人との出会いを大切にしなければいけない。
京都大原の山の中ですから電気などは引かれていません。お不動様を照らすロウソクの明かりの中で、 明かりのお裾分けをもらいながら、尽きる事のない話が夜遅くまで続きました。(1999.2)


魚歌水心

「波騒は世の常である。 
  波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。
  けれど、誰か知ろう、百尺下の水の心を。水のふかさを。」

我が人生の師は、宮本武蔵と千利休であると公言してはばからない。
私は吉川英治の「宮本武蔵」が好きである。 古人の物語は必ずしも史実の通りでないにしても、自分の中に作られた自分流の宮本武蔵と千利休が 生きていて、それは幼くして父と死に別れた男が、心の中に自分流の「男像」「おやじ像」を作っているのに似ている。 「古人を観るのは、山を観るようなものである。観る者の心ひとつで、山のありかたは千差万別する。」と、 吉川英治も書いている。
自分が大事にしていた人たちから、私が持っているのを知りながら、なお同じ本をプレゼントされるという 事が何度かあった。
吉川英治の「宮本武蔵」もそうである。そうして、何度か読み返し、その人たちにも励まされた。 冒頭の一節は、 二河白道の狭間で攀じる自分を元気づけてくれたバイブルみたいなものである。

魚歌水心は、巖流島の決闘で終わる吉川英治「宮本武蔵」の、最後の一節である。(1999.2)


一客一亭

 岩登り等かなり荒くれ事をやってきましたが、 私が初めて「師匠」と呼ぶ人に付いたのは、30才過ぎてから始めた「茶道」だけです。それも女性の方。
岩手県宮古市の一條宗貞先生という素晴らしい方で、(もう九十ン歳かな?)たくさんの事を教えてもらいました。 晩御飯をごちそうになったまま、11時頃まで、なんと5時間も稽古が続いた事もありました。 茶道だけでなく、着物、袴の着付け、人生訓まで、かなりの高弟の方々に挟まりながら、実に充実したものでした。 そんな中で、稽古日とは関係なく遊びに行く私に、特別ごちそうしてくれた「一客一亭の茶」は この上なく贅沢なものでした。砂浜に連れ出してお茶を点てて遊んだり、海から昇る中秋の名月に 海辺の茶会をやったり、楽しい思い出がたくさんあります。
本棚に沢山ある茶道教本には、教えてもらった奥義がびっしり書き込まれていますが、転勤、残業、オヤジで、 いまは少しお茶席から離れています。(1999.2)


わが歌ごえの高ければ

 わが歌ごえの高ければ 酒に狂ふと人は云え 
われに過ぎたる希望(のぞみ)をば 君ならではた誰か知る

私は「カラオケ」が大嫌いです。コミュニケーションの途絶えた、あのお愛想拍手のおつき合い、自分が楽しければ それでいいと言う、いま流行りのあの感覚空間がきらいです。
焚き火を囲んで、ある時はテントの中で、酒を酌み交わしながら出てくる歌です。(1999.2)


すてきなあなたに

島崎藤村

「落梅集」より


  
 胸より胸に


 
  其一
  めぐり逢ふ
   君やいくたび

      あ
めぐり逢ふ君やいくたび
         よ
あぢきなき夜を日にかへす
わがいのちやみ  たにま
 吾 命 暗の谷間も
 
君あれば恋のあけぼの
 

 き  えだ      か
樹の枝に琴は懸けねど
あさかぜ き  ひ
朝風の来て弾くごとく
おもかげ
面影に君はうつりて
わがむね しづ   わた
吾胸を静かに渡る
 

くもまよ
雲迷ふ身のわづらひも
くれなゑ    ほほえ
 紅 の色に微笑み
       ひ
流れつゝ冷ゆる涙も
   あつ おもひ やど
いと熱き思を宿す
 

 し          ひら
知らざりし道の開けて
 
大空は今光なり
 
もろともにしばしたゝずみ
あたら  なが
新しき眺めに入らん
   
   其二
  あゝさなり
    君のごとくに

 
あゝさなり君のごとくに
なに    やさ
何かまた優しかるべき
    き       わ
帰り来てこがれ侘ぶなり
 
ねがはくは開けこの戸を
 

            みす
ひとたびは君を見棄てゝ
 
世に迷ふ羊なりきよ
           まくら
あぢきなき石を枕に
          まきば
思ひ知る君が牧場を
 

             くら
楽しきはうらぶれ暮し
いづみ     ふ  とき
泉なき砂に伏す時
あをぐさ おもひで
青草の追憶ばかり
かな   ひ たの
悲しき日楽しきはなし
 

かな           かへ
悲しきはふたゝび帰り
みどり  のべ      とき
緑なす野辺を見る時
さまよひ  おもひで 
飄泊の追憶ばかり
      ひ かな
楽しき日悲しきはなし
 

          たの
その笛を今は頼まむ
   むね       いこ
その胸にわれは息はむ
      たれ  か
君ならで誰か飼ふべき
あめつち
天地に迷ふ羊を
   
   其三
  思より
    思をたどり

おもひ  おもひ
思より思をたどり
こした   こした
樹下より樹下をつたひ
ひと    おそ  あゆ
独りして遅く歩めば
つきこよひかす
月今夜幽かに照らす
 

 
おぼつかな春のかすみに
   けぶ よる しづ
うち煙る夜の静けさ
ほのしろ そら
仄白き空の鏡は
おもかげ ここち
 俤 の心地こそすれ
 

ものみな
物皆はさやかならねど
      やみ
鬼の住む暗にもあらず
        ひかり
おのづから光は落ちて
わがかほ  ふ
吾顔に触るぞうれしき
 

そのひかり   うつ
其光こゝに映りて
 ひ   み    やへ  くもぢ
日は見えず八重の雲路に
そのかげ      やど
其影はこゝに宿りて
       とほ  やまかは
君見えず遠の山川
 

 
思ひやるおぼろ/\の
あま  と
天の戸は雲かあらぬか
      ねぶ
草も木も眠れるなかに
あふ み  なみだ
仰ぎ視て涕を流す
   
   其四
  吾恋は
    河辺に生ひて

     かはべ  お
吾恋は河辺に生ひて
 ね ひた やなぎ  き
根を浸す柳の樹なり
えだのび みどり
枝 延て緑なすまで
いのち       す
生命をぞ君に吸ふなる
 

      みづさ  かへ
北のかた水去り帰り
ひる よ
昼も夜も南を知らず
 
あゝわれも君にむかひて
   し  おもひ  おく
草を藉き思を送る
   
   其五
  吾胸の
    底のこゝろには

わがむね
吾胸の底のこゝには
         ひめごとす
言ひがたき秘密住めり
        い    にへ
身をあげて活ける牲とは
      たれ
君ならで誰かしらまし
 

 
もしやわれ鳥にありせは
   す   まど
君の住む窓に飛びかひ
 は  ふ   ひる  ひねもす
羽を振りて昼は終日
ふか  ね
深き音に鳴かましものを
 

        をさ
もしやわれ梭にありせば
きみ て
君が手の白きにひかれ
          おもひ
春の日の長き思を
 
その糸に織らましものを
 

 
もしやわれ草にありせば
 の べ  も      ふ
野辺に萌え君に踏まれて
   なび      ほほゑ
かつ靡きかつは微笑み
       ふ
その足に触れましものを
 

       しとね  あふ
わがなげき衾に溢れ
       まくら  ひた
わがうれひ枕を浸す
あさとり
朝鳥に目さめぬるより
    とこ  ぬ
はや床は濡れてたゞよふ
 

くちびる ことば
口唇に言葉ありとも
        なに  うつ
このこゝろ何か写さん
 
たゞ熱き胸より胸の
      つた
琴にこそ伝ふべきなれ
   
   其六
  君こそは
    遠音に響く

       とほね
君こそは遠音に響く
いりあひ
入相の鐘にありけれ
かす       たど
幽かなる声を辿りて
        めしひ
われは行く盲目のごとし
 

            やす
君ゆゑにわれは休まず
            たふ
君ゆゑにわれは仆れず
           ひ
嗚呼われは君に引かれて
             さぐ
暗き世をはずかに捜る
 

        しづ はるび
たゞ知るは沈む春日の
        そら
目にうつる天のひらめき
 
なつかしき声するかたに
はなふか ゆふべ おも
花 深き夕を思ふ
 

わがあし きづ  いた
吾足は傷つき痛み
わがむね あふ  みだ
吾胸は溢れ乱れぬ
 
君なくば人の命に
        ひとり
われのみや独ならまし
 

   かな      やみ
あな哀し恋の暗には
          めしひ
君もまた同じ盲目か
てびき     めしひ  み
手引せよ盲目の身には
めしひ
盲目こそうれしかりけれ