「御神楽岳」( MIKAGURADAKE)

 

 御神楽のきびしさは、父親のあたたかさにも似て心地よい。

いつも新鮮な驚きを与えてくれるその岩肌は、遠く夢を迫いかける息子達を、

あたたかく包み込む。

 御神楽にあれぱ、水も風も、そして流れる雲さえも五体と同化して心地よい

足音を響かすのだ。私は岩登りの厳しさも楽しさも、この父なる山、御神楽か

ら学んだ。御神楽を想えば我が胸はあつくたぎり、御神楽を想えぱまた、豊か

になごむ。

 御神楽との出会いは、何年か前の夏の湯沢本谷単独登撃の時である。ほとん

ど無知に近いこの岩山に単身挑んだのは、おそらくは若人特有のロマンチズム

と、疼いて止まぬ闘争心のなせる業だったと思う。

 小雨の中での登撃で、みごとにたたき落とされ、宙吊りになった私の考えた

事は「それでもなお進むか、退くか」だった。技術で山に負けたとしても、い

つかは勝てる。だが精神力で負けたとしたら、二度とこの山には勝てまい。

怪我の手当をしながら、なお進む余力のある事を確かめると、深々と山に一礼

して再びザイルを手にしたのだった。

 初めて見る雪のない湯沢の荒々しさは感激だった。大きくのしかかってくる

岩肌は、私の思い上がった気持ちを十分にたたきつぶしてもなお余りあった。

二岐のカール状大滝を登り切った時には、日はすっかり暮れて、運悪く雷雨と

なった。岩山を横に這う稲妻におびえ、どんよりと気持ちの悪い小さな楕円形

の空から落ちてくる冷たい雨に打たれながら、テラスに座ったまま夜を明かし

た。足もとには、恐ろしいまでの滝の音が一晩中鳴り響いていた。

 翌朝、むくんだ手足と、疲れきった体に登撃をあきらめ、未知の本名穴沢に

下降路を求めて再び自然の偉大さに打ちのめされた。なめ滝に滑り、必死で

ピックハンマーで制動するも、長い滑落のあと宙を切り滝壷に落ちる。

 そして、両側を急斜面に挟まれた、ただ一つの下降路の途中に突然現われた

40m超の大滝にドギモをぬかれては天を仰いだ。「俺はこの山から帰れるの

だろうか」と本当に思ったのだった。

ザイルの長さは40m。水が流れる崖淵に、ようやく1本のハーケンを打ち込み、

空中懸垂でかろうじて途中の足場に助けられて降りた。もう、なりふり構わず

広谷川をよろけながら漕ぎ下り、ベースキャンプのスモヒラを見つけた時は、

感動の涙があふれ、見えるもの全てに大声を出して感謝したのであった。

 この山行で10万円近いカメラがポンコツになり、宙吊り墜落でのザイルによ

る首のヤケドがひどく一週問は風呂に入る事ができなかったが、何ものにも代

え難い得たものの大きさに、しばらくは放心状態で満ち足りていたのだった。

 この春、山岳会の春期合宿が御神楽岳に決まり、はやる気持ちをおさ切れず

単身偵察に人った。雪の状態を見るために、スモヒラにザックを置きピッケル

片手に湯沢ルートに向かった。この山が、いつもまるで初めて対面したかの様に

初々しいのはなぜだろうかと考えたり、湯沢の残雪が美しく目に映るのは、その

下に荒々しい本物の御神楽の岩肌が感じられるからなのだと合点したり、楽しみ

ながら登っていくうちに、本谷スラプを経て湯沢の頭まで一気に登ってしまった。

岩の取り付きあたりで高頭ルンゼに見あげたカモシカが、まるで時間が止まって

いたかの様に動かずに、今は足元遥か下の方で私を見つめて立っている。

荒い息づかいと靴音、そしてピッケルの音。ほんのわずか、私のまわりだけを

時が流れているのだった。幽峯と言われるこの山を、今、自分が独り占めして

いるのだと思うと感無量であった。

 湯沢の頭から眼下はるかにつづく岩山は、今や闘争心の対象としてではなく、

我が愛すべき内なる山として豊かに息づいているのだった。

 御神楽のやさしさは、その厳しさを乗り越えた息子だけに与えられる大いな

る大自然の贈り物なのである。        ( 1982年6月 泉澤幸志 )

《御神楽岳 湯沢周辺MAP》
 

中島博史 山伏尾根

 御神楽岳山伏尾根厳冬期登攀(1983年1月2日)
写真はパートナーの故中島博史氏

 
 

 もう、多分私しか知らない事だと思いますが、この御神楽

岳(1386m)には、宝物の様な隠された秘密があります。

もう10年以上前に亡くなりましたが、過激なクライミングで

痛めた私の体を治してくれた人で、子供の頃は戸隠の山伏に

育てられたという白髭の爺さんがいました。

 この爺さんが若い頃に津川の老師に聞いたと言いますが、

阿闍梨(あじゃり)の修練場だったというこの山には隠さ

れた鍾乳洞があるそうです。

上川村側から御神楽の岩壁側に抜けるトンネルがあって、

阿闍梨様が通ったそうですが、村人に危険なため封印したと

言います。(古文書も存在?)

 いつの日か鍾乳洞探しをしたいと思いながら、山から遠ざ

かってしまいました。

また、湯沢の谷には微温めですが、本当に温泉が湧いている

所もあります。

(1999.2記)